プロフィール

はじめまして!

このブログを運営しているmaia(まいあ)です。

自己否定 100% から 自己愛 100%になる時、世界が優しくなりました。

それから、徐々に自分に関係ある情報がいっぱい入ってきて、自分はスターシード(宇宙由来の魂)だと自覚しました。

(このブログを読んでいらっしゃるみなさんも、スターシードです。自覚があるかないかだけの違いです。)

なぜスターシードと言う言葉を使うのかと言うと、これでmaiaは救われたからなんです。

スターシードだと分かってから、これまでの生きづらさ(地球の馴染みにくさ)が妙に納得できて、ホッと安堵感を感じたんです。

「そっか〜、じゃあ、仕方ないな〜」と自分をもっとカンタンに許すことができるようになりました。

そして、ホントの自分と繋がって宇宙と地球につながる生き方がわかるようになると、日常生活が楽ちんになってきました。

自分の嫌な部分に気づき、認め、受け入れて理解することができるようになってきたら、家族の優しさや何気ない日常生活に、感謝の気持ちがあふれてくるようになりました。

こんなふうに変われたのは、自分を知って、イヤな部分も全てまるっと受け入れてあげられるようになったから!

 

いつの間にか、家族だけでなく地域の人まで優しくなり、家の周りは素敵なお店や環境になってきました。

何よりも、いつも「大丈夫!」と思えるこの感覚は、何ものにも替えがたいものです。

宇宙と地球につながっているとものすごい安心感があります。

自分にいつでも丸ごとOKとできる私、以前は考えられなかったです。

自分と向き合い対話して、宇宙の応援と体の働きに感謝しながら、穏やかな日常を楽しんでいます。

 

 

今でこそこんなふうに喜びの中で過ごすことができるようになった私ですが、過去のmaiaは全く違っていました。

人とテンポがずれて不器用で、ボーッとしているところをよく怒られていました(笑)。

何やってもダメだと思って、自信もなく自分のことが大嫌い

自分を好きになるなんて、到底考えられないことでした。

自分大嫌いに加えて、自分は役立たずで何をやってもダメ、という思いがいつも根底にあったのに、「弱いボロボロの自分を見せたら生きていけない」という思いがいつもどこかにありました。

今だからわかるのですが、
「本音を言ったら嫌われる、傷つきたくない」気持ちからホントの気持ちを隠して生きていました。

「いつもちゃんとしていなければダメだ」とそんなふうに自分をがんじがらめにしていたのでした(当時は、型にハマって正しく生きることが「ちゃんと」だと思っていました・・( ; ; ))。

当時のmaiaはその苦しみを見ようともせず、半ば無視するように人生を進んでいました。

ですが、事なくやり過ごしたと思っていても、その観念や思いは、何度も何度も形を変えて現実としてmaiaのもとにやってきました^^;

最終的に自分と向き合わざるを得なくなりました。

自分と向き合うことを始めてから、世界はやわらかくなりました。

これも、「大いなる私」がやってみたいことの一つだったのでしょうか。

すごく遠回りしたように見えたストーリーも、実は自分が作ったドラマの一コマだったのです。

そんな不器用なmaiaの今生でのドラマチック・ドラマストーリーをお話ししますね。

お茶でも飲みながらお読みくださいね。

 

 

 

<略歴はこちらです>

福岡県生まれ。蟹座。O型。

現在千葉県在住。夫と2人の娘。

大学卒業後、化粧品会社勤務後、結婚して神戸に住む。

子育てをしながら、公文式学習塾を開く。

夫の転勤に伴い、千葉に転居。

翻訳者になろうと思って通っていた翻訳学校で
ある受講生仲間に頼まれて特許事務所に入所。

父の逝去後、母の介護のため、退職。

自分につながることの大切さを発信し始める。

 

<学んできたこと>
♡中学高校英語教職課程
♡レイキ・ヒーリング・システム(ファースト&セカンドディグリー)
♡アロマテラピーアドバイザー(現在、返上)
♡心の学校 宇宙コース
♡ヒマラヤ聖者の瞑想
♡BCU(ビジネスクリエーターユニバーシティ)
♡TAOメンタルビジネス塾
♡Perfect Focus on Omnipresence Methodセミナー
♡行動心理士、メンタル心理カウンセラー、上級心理カウンセラー
♡レムリアン・ヒーリング®プラクティショナー
♡レムリアン・ヒーリングテーチャーコース
♡レムリアン・ヒーリング®マスター1レベル
♡レムリアン・ヒーリング®マスター2レベル
♡スピリチャルチャネリングメソッドマスターコース

 

自然と一体だった幼少期

自然とともに生きていました。

土も空も風も海も、全てが友達のようでした。

見るもの触るものが、楽しくて面白くてたまりませんでした。

毎日が、新しい冒険の旅に出かけるようでした。

覚えているのが、蜂に刺されて大泣きしたこと。

当時私は、ミミズやアリやトカゲやミツバチと大の仲良しでした。

毎日土を触って、植物や虫たちを観察していました。

中でも、当時の社宅の庭に自然に咲いていた花に集まってきていたミツバチを両手でパコンとキャッチすることが、楽しくてたまりませんでした。

キャッチしたら、すぐに放してあげるのです。

ただそれが、面白かったのです。

ミツバチは友だちでした。

だから絶対刺さないと思い込んでいて、安心してその遊びを楽しんでいました。

ある日maiaは、家から離れた別の場所に出かけて、いつものようにミツバチキャッチをしようと思いました。

そこにいたハチはいつもmaiaが遊んでいたハチとは少し形が違っていました。

少し小さく、細長い形をしていました。

それでも、「ミツバチは刺さない!」と信じていたので、いつものように両手でパカッと挟んでみたら

次の瞬間、チック~~~ン!!!!

薬指に強烈な痛みを感じたのです。

「痛い~~~~~!!!!」

ミツバチは、絶対刺さないはずだった・・・のに・・・

その強烈な痛みとショックで、ワーワー泣きながら家に向かって一目散に走りだしたのを覚えています。

痛みとともに、自分の中のミツバチへの信頼が、一気に崩されていくことがショックでした。

あとでよく考えたら、そのハチはミツバチではなかったみたいです。

他にもいろいろあります。

◆ 道の端っこを歩いていたら、こけて溝に落ちて耳を怪我して大出血した話。

◆ カトリックだった幼稚園でのいつものお祈りで、「アーメン」とみんなで唱えた後、「ソーメン、ヒヤソーメン」とコソッと付け足して怒られた話。

◆ その影響なのか、マリア様に守られていると思い込んでいたこと。

◆ 犬に追いかけられて、一目散に走って逃げて、滑り台のてっぺんにヒーヒー言いながら登って「ああ、もう大丈夫。」とホッとして後ろを振り返ったら、犬がそこにいた話。

◆ 山好きの父に連れられて冬の雪山登山をした時、頂上で始めて飲んだコーヒーに体が反応して下山途中、頻尿になって困った話。

◆ 「ネギを2把買ってきて」と母親に頼まれておつかいに行ったものの、2把の意味が分からず(鳥でもないのにニワって何だろう?)、お店の人にも言えずウロウロしていたのを、痺れを切らした母親が迎えにきた話。

◆ 「あれはオリオンの三つベルトだよ」、「あれはカシオペアだよ」と月や星のことをいろいろ教えてくれた父の影響で星や空が大好きになった話。

◆ 歩いていたら、よく目に虫が飛び込んできて痛かった話。

◆ インフルエンザワクチンの注射をした日に、遅くまで公園で遊び回って翌日大熱を出し怒られた話。

◆ 喉が弱くてすぐに熱を出し、かかりつけの医院で必ずお尻に注射をされるのが嫌で嫌で逃げ回っていた話。

数え上げたらキリがないほど、いろいろやらかしました。

たくさん怒られたものの、楽しく天真爛漫だった幼少期です。

 

殻に閉じこもり始めた思春期

小学校高学年から中学にかけて、天真爛漫でいることが自然とできなくなっていきました。

家庭では父親は毎晩遅くに帰ってくる生活、接するのはいつも専業主婦の母親でした。

母親は愛情深い反面、心配症で過保護、過干渉でした。

ある日から、学校に行くと集団で無視されるようになったことがあります。

大の親友だった友達もその集団に入っていたのはとてもショックでした。

帰って自分の部屋に閉じこもると、悔しさと悲しさで「遺書にいじめた全員の名前を書いて死んでやる」と考えたりもしていました。

でもできませんでした。

そんな勇気はなかったのです。

それから、だんだんとフリをするようになっていきました。

素を見せてはいけないと思うようになり、グループに属してはいても、心から話が合う人はいないと思っていました。

本を読むことや空想することが好きでした。

特にSFが大好きで、海外や日本の作家の作品を読みまくっていました。

宇宙やタイムトラベル系の物語となると、無限にイメージが広がり空想が尽きることはないくらい楽しいものでした。

手塚治氏火の鳥ブラックジャックなども愛読していました。

普遍的な命について考えるようになっていました。

宇宙系のものにとても興味を惹かれていて、「2001年宇宙の旅」の原作を読み映画を見たときは衝撃で、ますます宇宙について興味が深くなっていきます。

進学した高校は、大学進学のためだけにあるような窮屈な学校でした。

いつも睡眠時間が足りず、朝起きるのが辛く毎日体がだるく休みたい、それなのに休むことを自分に許すことができない人間でした。

冬の校舎での午後の授業は寒くて寒くて、だんだん動けなくなり次第にまぶたがくっついてきます(凍死ってこんな感じかー笑)。

体が揺れているのを感じながら、でも眠気の中に引きずり込まれて、目覚めたいのに目覚められず・・・。

レールから外れて生きることなど考えられない時代でした。

そしてmaiaはそれが怖くてできないのでした。

窮屈な高校生活でしたが、ある人を好きになりました(片想いでしたけど・・)。

その人をAくんとしましょう。

Aくんは、成績優秀でスポーツもできる憧れの人でした。

1年間同じクラスになった時は、毎日がウキウキしていました。

AくんはやがてBさんと付き合うようになりました。

それでも、Aくんへの思いは募るばかり・・でも、話をすることも恥ずかしくてできない、だって自分のことを好きになる人なんているわけない、自分を知られたらダメだ、そんなブレーキがかかります。

自分に全く自信がありませんでした。

なので、空想の中で、ひたすらAくんを思う日々が続いていました。

そして3年になると理系と文系でクラス分けされ、大学受験に向けて科目ごとに課外授業が頻繁に行われていました。

maiaは文系。Aくんは理系。

「この課外授業で、理科で物理と化学を選択したら、もしかしたらAくんと一緒のクラスで受けられるかもしれない!」

そんなかすかな(自分勝手な)希望だけを胸に、大の苦手な物理と化学を選択してしまいます。

期待はもろくも外れまして、Aくん不在の教室で、大の苦手な物理と化学の授業を受けるという悲惨な結果に・・・( ; ; )。

文系と理系ではそもそもクラスが違っていたのでした。

結局、進む大学も違い、そのまま何の進展もないまま、その片思いは終わりました。

(その後、Aくんとはなんと、同窓会で数十年ぶりに再会したのです!そのドキドキたるや・・・そのことは、またの機会にお話ししますね!)

この頃から、「意識って何だろう」、「人は何をしにここにいるのか」、「何が人を動かしているのだろうか」という疑問がわき始め、追求することが始まります。

 

ちょっと自由になれた大学時代

「大学は国公立大学だけ。私立はダメ。浪人もダメ。」

(当時、地方の大学はまずは国公立大学を目指し、落ちたら私立へ・・という流れのようでした。)

そう言われ、何とか頑張って地元の公立大学へ進学します。

片道3時間くらいかかる道のりを、電車とバスを使って通学しました。

その辛さに耐えかね、さんざん親を説得して3年生からは大学の近くに下宿生活を始めました。

仕送りの額も決まっていたので、家庭教師やその他のバイトをしながら、何とかやりくりしていました。

親元から離れることができ、貧しいながらもようやく自由を感じていました。

教職課程の授業を選択したものの、単位をとるためにだけ授業に出席しているような感じでした。

90分の授業は長すぎて耐えられないのでした。

なぜ、みんな真面目に出られるのか不思議でたまりません。

特にやりたい仕事もなく、資格としてあれば役にたつかも・・くらいの気持ちで取っていた教職の授業でしたが、危うく2年間の頑張りが無になるところだった経験談があります。

教育実習の記録ノートの提出期限日を、すっかり忘れていたのです。
(いつもながら最後の詰めが甘いmaiaです(^^;;)

その期限が過ぎて、友達から期限のことを聞いたmaiaは真っ青になりました。

慌てて、公衆電話(当時の手段はこれしかなかったのです。)からその先生の家に電話をかけ、「これから提出するので見てください」と懇願したことは今でも忘れられません。

「忘れるということは、教師になる意志がないことだ!」とバッサリ言われ、「申し訳ありませんでした。でも見ていただきたいのです。」と泣きながらひたすらお願いを繰り返しました。

結局、後日見てくれることになりましたが、またしてもそこで、「教師になる意志はあるのか」と強く問われ、ひたすら謝り倒したのを覚えています。

いつもどこか抜けてる自分をますますイヤになっていました。

北海道の牧場体験や夏季の語学留学など、体験も広がった大学時代でしたが、心はどこか別のところをさまよっている感じでした。

初めての就職先でトホホな体験

第一志望は当時憧れていた航空会社。

仕事しながら海外に行けるなんてサイコー!というだけの理由でした。

しかし、ことごとく惨敗して、行き着いた先は某化粧品会社の営業。

面接も嫌で、3社しか受けなかったうちの唯一受かった会社でした。

その理由も、月収がちょっとだけ他よりいいし、じっとしているより動いている方が楽しいはず。

そんなこじつけで、強引に入社していました。

「営業なんて無理!勤務地もイヤ!ここ無理!ここじゃなくてもいい!」そんな心の声を無視していました。

以降、maiaはことあるたびに、この心の声に耳を傾けず、損得勘定で強引に押し通してしまうことで、結局イバラの道を進むことになります。

やてみよう!やってみてダメなら考えよう!

そんな一面があるのです。

でも、この仕事は全く合っていませんでした。

何とか偽りながら、仕事に自分を合わせてきましたが、続かず2年弱で辞めることになります。

ここでも失敗談はいっぱいあります。

例えば、こんなこと。

営業先から直帰した時のこと。

社用車をバックしながら駐車場に停める際、障害物にボコっと当ててしまい、車を大きく凹ませてしまったことがあります。

「あ~やってしまった~」と申し訳なく思ったものの、翌日会社に着いたら、車のことをケロっと完全に忘れていて、普段通りに過ごしていました。

そしたら、

先輩「おい、maia、お前なんか言う事ないか~!」

maia「えっ?」

沈黙・・・

maia「なんか、ありましたっけ~?」

先輩、真っ赤に激怒しながら「何トボケとんのか~!お前、車どうしたんか~!」

maia(やっと我に返る!)「アッ!そうでした!車、ぶつけました~~~💦」

こんな感じで、前日ぶつけた車のことをホントにすっかり忘れていて、自ら報告し忘れて怒られました。

わかっていて、ごまかしていると思われたみたいです。

当然ですよね。

でも本当に何の悪気もなく、タダ全く忘れていただけだったのです・・トホホ

 

結婚と子育てと仕事のドタバタ劇

仕事を辞めた私は実家に戻り、学習塾などでアルバイトをしながら生活を始めました。

再度就職することも考えましたが、この先、結婚して家庭を築いた上で、仕事ができたらいいなあと考えるようになります。

そんな時に出会ったのが今の夫です。

住居を神戸に移し、新生活を始めます。

待望の女の子にも恵まれ、明るい自分の理想とする家庭を思い描いていました。

ところが、理想の家庭となるはずの、その待望の第一子に生まれつきの病が見つかります。

「なぜ、この子が・・・」

「何がいけなかったのか・・・何が悪かったのか・・・やっぱり私は何をやってもダメなんだ・・・」

自分を責める日々が続きます。

結局、6歳の時に手術をして長女は普通に生活できるようになりましたが、検診や手術や看病、6年に渡り長女を中心に生活が動いていました。

ちょうど自宅で学習塾を始めた時、夫が転勤で単身赴任となり、母娘3人の生活が数年間続くことになります。

次女は長女と違い、とても育てやすくあまり手のかからない子どもでした。

しかし、とても感受性が強く集団生活が苦手でした。

思春期になると不登校となりうつ病と診断されました。

投薬しても症状は一向に改善しません。

根本を治さない限り良くならないとの確信は合ったものの、決定的な解決策が見出せないまま時間だけが過ぎていきました。

その時、私たちは関東に居を移し、新たな生活を始めていました。

maiaは、次は翻訳者になりたいという夢があり、翻訳学校に通っていました。

そこで出会った人に頼まれて、知的財産を扱う事務所にアルバイトとして入り、自分でも翻訳の勉強をしながらその後社員として20年弱を過ごすことになります。

ここでも、自分の直感に従わず、損得勘定で決断したことが、後々ものすごく後悔するという経験をしました。

異動を打診された時、心は絶対「イヤ」だと言っているのに、昇格という得を選んだがために、後々散々な目にあってしまいました。

この時は、どこまでアホなのかと、またしても自分を責めました。

この職場で私は、ある方から紹介された「ラムサ・聖なる預言」という一冊の本をきっかけに、精神世界を知り学び始めます。

次女のこともなんとかしたい気持ちで、さらに精神世界にのめり込んでいきます。

もともと、意識の世界や超能力ってあるのが当たり前だと思っていたので(もともと宇宙好きで空想癖の人間です)、長編の「ヒマラヤ聖者の探究生活」「心身の神癒」「あるがままに」「人間の永遠の探求」などもとても興味深く読んだものです。

知花敏彦さん小林正観さんの講話を聞きに行ったり著書を読んだりしました。

また瞑想をある師匠について学び、日常生活に取り入れ始めたのもこの頃です。

さらに、「黎明」の著者、葦原瑞穂さんのワークショップなどにも参加して精神世界についてさらに深く学びます。

何事にも識別心を持つことを学んだのもこの頃です。

自分がその先を知りたいという探求心と、ここに次女の根本原因を探る手がかりがあるという思いでした。

そして自分が変われば娘も変わっていくことを信じながら、手探りで進んでいました。

でも一進一退の繰り返し。

やがて次女に大きな環境の変化があり、それを機にさらに病状が悪化し、起きて活動できないほどの状態に陥ります。

この時、ふと私の心に響いた「レムリア」と言う言葉。

そして導かれるように出会ったのがレムリアン・ヒーリング®でした。

さらに、並木良和さんドクタードルフィンこと松久正さんヤンタラ ジローさんに出会い、ワークショップに参加しながら、目に見えないエネルギーについて具体的に体験し始めていきます。

これをきっかけに、次女も精神世界に興味を持ち始め、徐々にではありますが変わり始めます。

投薬を止めることを決意し、そしてついに成功します。

彼女は自分を見つめ、内側と対話することで自らを癒すことをし始めます。

さらに自分の特性として自らを認め、自分の肉体と意識の乖離を少しずつ埋めていくために、研究を続けています。

高性能のセンサーの持ち主であるがゆえに普通とはかけ離れた感覚があり、自らの体で一つ一つ検証しながら、ここ地球での緊張を解くように努めています。

今となっては、本当にうつ病だったのかどうか定かではありません。

地球の医学で、うつ病というカテゴリーに分類されただけという気がしています。

後々わかったのは、娘は地球に転生回数の少ない宇宙出身の魂(スターシード)で、この地球は非常に生き辛い場であったということです。

高波動の宇宙の魂は、おおもとの自分とのつながりが切れると、本当に生きていくのが大変です(それを知って、敢えて地球の経験をしにきているのは本人の選択なんですけど・・・)。

これはmaiaにも当てはまるのですが、自分が何者かというルーツを知ること生きづらさの解消になりました。

maiaの場合、あるチャネリングを通してわかったのは、もともと個の意識ではない愛と光の集合意識体から、多くの星を転生してきている意識体であること。

分離や男性女性を体験したこともなかったことから、この体験をしに地球を来た魂であること。

話半分にしても、このような背景を知ったことで、これまでの生きづらさが納得できたり、深いところで感じることへの確信が持てるようになったことは、maiaには大きな一歩でした。

特に地球での違和感や生きづらさを感じる方は、ほぼ宇宙の魂(スターシード)ではないでしょうか。

介護と別れとその後

父の看病と別れ、母の介護、愛犬の介護と別れを経験しました。

これは、話し始めると長~くなりすぎるので、ここでは割愛しますね。

父や愛犬の別れを通して、肉体の死を経験してもなお魂の交流はできることを知りました。

肉体がなくなるだけで意識を向ければ、父も愛犬もすぐそばに来てくれるのを感じます。

maiaは次第に自分の内側に意識を向け始めることを始め、自分の中にあるいろいろな部分を知り始めます。

こうして、ようやく自分の中にあるものの投影が現実を作っていることがわかるようになりました。

大嫌いだった自分のことを愛おしく思えるようになり、どんな部分も全て「ああ、そうだったんだね。」と気づいて認めて理解できるようになってきました。

そして、とても平安な気持ちでいることができるようになりました。

こうして自分のことを受け入れ始めることができるようになればなるほど、自分の中にある愛の部分が大きくなってきます。

それに触れると涙が溢れるほどの癒しを感じるようになります。

そして、内側にある愛の光が大きくなればなるほど、自分の中にあった闇の部分が気にならなくなっていきます。

光があれば闇がある。

闇は排除する必要もなければ、悪者扱いする必要もないことに気づいていきます。

闇にもその役目があること。

闇があるからこそ、光がわかるということです。

気づいて、わかって、理解して、感謝して、調和していく。

その上で、光の方向を向いて歩いていくことを選んでいく。

そういうことがわかってきました。

地球で肉体を持って生きている限り、闇の部分は存在するでしょう。

これからも、それに気づいたら愛で包んであげる、気づいたら愛で包んであげる、これをずっと繰り返しながら自分の周波数を上げていきたいと思っています。

癒すということは、自分自身の闇を光に変えていく作業ですね。

そういう意味で、癒しは一生続いていくし、これからも進化は続いていくでしょう。

そしてそれぞれの魂は、経験という尊い宝物を持って光に還っていくのでしょう。

 

「私の経験とそこから得た学びが、ご縁のある方への気づきのきっかけになれば嬉しいなあ!」

「一緒に意識の次元を上げながら、この地球に愛と光の共振共鳴を大きくしていけたらいいなあ!」

「愛と調和に満ちた地球安心とリラックスに包まれながら、明るくのびやかな毎日を生きていけたらいいなあ!」

 

そんな思いがフツフツと湧いきて、自分の中の愛と光から出てくるメッセージの発信を始めました。

今のところ、好きなことは「ボーッ」とすること。

ゆるっと「ボーッ」としていることが私も周りも一番心地良いみたいです(*´-`)

そしてゆるっとボーッとすることこそが
今世での私のミッションの一つでもあるようです。

とにかくコレまでの人生はガチってきたので
「もうそれやめようよ!」っていつも上から言われます・・笑

 

長い長い物語に最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。

どうぞよろしくお願いします^^

maia

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