ラムサとは35000年前この地球に一度だけ生き、その生で死を迎えることなく高次元に昇華した存在です。
私たち人間が遠い昔に忘れ去ってしまったことを思い出すことができるように、今ここにチャネルを通して語りかけてきます。
ラムサを通して私たちの感覚が目覚めていくことを意図して、ラムサ著「ラムサー真・聖なる預言」の中からそのメッセージをご紹介していきます。
ご一緒に深めていきましょう。
あなたが感じるものを大切にしてくださると嬉しいです。
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私はラムサ、地球、あるいはテラと呼ばれるこの次元に遠い昔生きていた王者たる存在だ。
私が生きた時代、古代の言語では、これは「神」を意味していた。
ヒンドゥー教の人々が偉大なるラムと呼ぶのも私のことだ。
その生では私は死を迎える事はなかった。
高次元へと昇華することができたからだ。
自分の心の力をつかみとり、体とともに見えない次元へと向かうことを学んだおかげだった。
その過程で無限の自由、限りない喜び、限りない命があることを私は知った。
しかし、私はまた、真の目覚めに達するその瞬間まで、止むことなく憎しみ続け、軽蔑し続け、そして殺戮と支配を続けてもいた。
現在の私は、人間の目には見えないが、人類を深く愛している同胞たちの一団に属している。
我々はあなたの祈りや瞑想を聞き、あらゆる動きを見守っているあなたの兄弟だ。
全員が人間としてかつてこの次元に生きたものであり、人間であれば誰もが知る絶望や悲しみや喜びを経験した存在だ。
私がここにやってきたのは、あなたが我々にとってどれほど大事で貴重な存在なのかを伝えるためだ。
あなた自身こそが、自分の深い知性を通して、人生のあらゆる現実を作り上げたと言うことを悟るための、手助けをするためである。
そしてその力を使って、自分の望み通りどんな現実でも創造するのは可能であることをわかってもらうためである。
私は変化の風を携えてこの地上界にやってきた。
人間を暗黒の時代に追いやり、自由を奪い、人々を分断し、民族の間に戦いをもたらしてきたような、もう役には立たない考え方を打ち捨て、はるかに崇高な考え方を大事にして生きる時が来ているからだ。
人間は、自分自身の中にある神性と存在の永遠性に気づく時である。
あなたの兄弟である素晴らしい存在たちの手で、偉大なる知識がこの地上界にもたらされる日がすぐそこまで来ている。
これからやってくる時代、地上界には、病気や苦しみ憎しみや戦争はもはや存在しなくなる。
体が老いることも、死を迎えることもなくなり、永遠に続く命がそれに取って代わる。
知識、叡智、そして深い愛情を通じてそれが個々の生命体の人生にもたらされる。
自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。
一人一人が自分の価値に気づき、そして自分の命が永遠であることに気づく時、あなたたちは一人また一人と、無限の思考、無限の自由、そして無限の愛と言う意識の中に新しい存在として加わっていく。
困難で課題も多い時代だが、あなたはこの時代がもたらしてくれるものを見ることを全うすべく、今ここに生きることを選んだのである。
夢想だにしなかったような文明が現れてくる。
そして新しい風が吹く。
あなたの生きるこの宇宙のエメラルドであり、神の棲みたもう家であるこの美しい場所に、愛と平和と喜びが祝福を与えてくれることであろう。
ここで語られていることに思いを巡らせていると良い。
この言葉を体の内に入れてあげることだ。
あなたは思いを一つ重ねるごとに、気持ちを一つ感じるごとに、そして一瞬一瞬を生きることに、自分の偉大さと力を感じ、その輝きを改めて思い出し、その中へと戻っていくことだろう。
人間は限界の中から飛び出し始めている。
それは自分の人生に疑問を投げかけ、なぜ自分が政府や、教義や、社会の偽善に隷属しているのかを問いかけているものが、皆の次元にたくさんいるからだ。
自分たち、そして全ての人々の内面には、優しく愛に溢れ、しかも賢い本質があると言う考えに目覚めてきているのである。
この次元での意識は変わりつつある。
人間を何世代にも何世代にもわたって、獣のような生き物にする原因となってきた考え方の原因が取り除かれ、本来の崇高なる神の本質と言う姿になることが可能になったのである。
無限とは、今のこの瞬間なのである。
永遠に神となると言うのは、この今の瞬間にある永遠に完全に生きることだ。
あなたのこの時代は終わりつつある。
これは肉体の時代であった。
新しい時代はすでに地平線にその姿を見せており、それは光の時代、純粋なる精神の時代、神の時代と呼ばれるものだ。
すべては真に同等のものであり、神の王国はいつも自分の家にあったのだと言うことを、人間が知っている時代なのだ。
愛と喜びの世界へ、存在の自由へと戻るのだ。
「私は神である。
すべてこの目で見るものを私は愛する。
なぜならば、私はすべてこの目で見るものそのものであり、その自分を私は愛しているからだ。」
この叡智に到達するものは、ただ一人の光といえども、意識全体を進化させることだろう。
そして永遠と言う時間の中で、これまでよりもずっと賢くすべてを創造していくための道が溢れる、限りない存在の状態へと、皆が一人また一人と戻っていくのである。
無限の状態に戻り、喜びと存在の自由を体験するためには、あなたは自分を一つにしているものに再びならなくてはいけない。
体と言う厄介な荷物があるので、それになるただ一つの道は、第七チャクラである脳下垂体をフルに活動させ、社会意識をほんの少しだけ超えたところにある、限りなき思考を脳が受け取れるようにすることである。
ではこの素晴らしい分泌腺にそのそのホルモンの流れを使って、脳の眠っている部分を目覚めさせるには一体どうすれば良いのだろうか?
それは単に望むことを通じてなのだ。
すべての想念が自己の現実となるのを許すことを願うだけだ。
自分のあるがままを全て愛することが、なぜ大事なのだろうか?
そうするとあなたは直ちに社会意識を超越するからだ。
自分が受容されるかどうかと言うレベルを超え、審判を超え、時間と言う幻影を超えるのである。
自分の内なる声だけに耳を傾けるようになるのだ。
そして喜びの道だけをたどる。
その道にこそ全て在るものについて「知っている状態」が待っている。
レベルの高い波動の想念が入ってくると、それは脳の目覚めている部分を通るように導かれる。
後頭部にある松果体が、この高い波動を受け取り肥大し始める。
このため頭痛を起こしたり、少しめまいがしたり、頭が軽くなったような感じがする。
限界のない想念を受け取れば受け取るほど、体がさらに大きく振動し、あなたはだんだん光を発するようになってくる。
それは、あなたが体を個体の密度から光へと逆行させ始めたからだ。
限界のない思考がもたらす感じをあなたはどう説明するだろうか?
覚醒を目指す人のほとんどは、それが言葉と言う形でやってくると思っている。
これまであなたが理解したいと思ってきた事は、でも言葉を持たない。
感情とビジョンがあるのみだ。
思考を限定する技は、それに言葉をつけてやることにある。
本当の師は何も説明しない。
ただ知っているだけだ。
説明すると言うのは、自分を限定しなければならないことを意味している。
大事な点は、あなたはただ単に知っているのであり、それを正当化したり説明したりする必要は無いことだ。
高い波動の想念から体験できた高揚感からは、素晴らしいことが起きる。
魂が、オーラの場を通じて意識の流れへと、それを放射する。
これは、同じフィーリングを生み出す状況を人生に引き寄せてくるのである。
脳下垂体が開花し始めるにつれて、これまではとても可能だとは思えなかったような形で、人生が変わってくる。
愛、理解、そして慈しみの心が強くなる。
ある人々は自分の人生から消えていく。
その代わりに似通った考え方の人たちが、自分の下に引き寄せられるようになる。
やがて「知っている状態」が自分の内面で強まるにつれ、以前は感じたことも知っていたこともないようなことを、あなたは感じ、知り始める。
他の人間を見て、その人を自分の存在のうちに感じるようになる。
限りなくあることを望めば望むほど、そして感じれば感じるほど、脳下垂体はさらに多くのホルモンを分泌し、脳がどんどん開かれていくのである。
するとあなたは自分の体以上の存在となる。
自分を一つにしているものそのものになるのである。
やがて脳下垂体全体が満開となり、脳の全てが活動するようになる。
脳下垂体が満開となると、あなたはもはや死ぬ事は無い。
老いることもない。
体はあなたが命じる通りのことをするようになる。
体に振動の速度を上げるように命じれば、それは別の次元に上っていく。
あなたは三つの側面、つまりスピリット、魂、自我でできた生き物であり、それが個体という次元で自己表現している姿である。
自分が王になるまで王の苦しみはわからない。
賢者は淫売であり、僧侶であった。
導師(グル)であり農民であり、殺人者でありその犠牲者であり、征服者であり征服されるものであり、子供であり親であったのである。
わかるだろうか?
あなたが責める他人の側面とは、自分の中で受け入れることのできない自分自身の側面なのだ。
あらゆる状況を生き、そのすべて折り合いがついているならば、他の人間を理解し、価値判断なしに彼らをそのままでいさせてあげることができる。
何故なら、あなたはすでに彼らであったことがあり、彼らに審判を下せば、それは自分を断罪していることになるのを知っているからだ。
あなたが本当のマスター(師)となる時、限界ある意識の闇と泥沼の中へと脚を踏み入れながらも、あなたは自分を全き存在に保つことができる。
何故ならあなたは世に溢れる大衆の心を理解しているからであり、彼らが何故そういう状態なのかが分かっているからである。
それはあなたもそうだったことがあるからだ。
限界あるという自由をあなたは彼らに許す。
互いを愛するとは、もちろん自分自身を完全に愛することである。
あなたの人生の道とは何だろうか?
それは常に、自分のフィーリングに従うことだ。
自分の内に感じる真実を生き、それを感じている自分という存在を愛するのだ。
自分のフィーリングに耳を傾ければ、あなたという自己が深淵なる叡智へと進化していくために、あなたは必ず正しいことをしている。
自分のフィーリングに反することをしたときに、身体の病や、神経症や絶望が訪れるのである。
自分の心、自分の夢、自分の望みを追い求めることだ。
この人生か、あるいはこれから続く生で、あれやこれやをする欲求がなくなり、ただ「在る」ことを望む時がやってくる。
するとあなたは、さらに偉大なる存在の次元で新たな冒険へと向かっていくのである。
「在る」ということは、あらゆる人々、あらゆる行い、あらゆる想念、あらゆる感情、つまり神羅万象、喜怒哀楽の全てを包含しているので在る。
生という名の神の愛は、あなたにいつも与えられてきた。
自分が死のうが生きようが誰一人として気にする者などないと思うとき、私はあなたを思っていることを知ってほしい。
自分の存在の大切さが見失われ始め、誰か仲間が必要だと感じたとき、私の名を呼ぶことだ。
私はそこにいるだろう。
この地上界のあなたの人生の日々を通じて、愛と希望と喜びを学んだあなたの大切な魂が、叡智、慈しみ、そして見えるもの見えぬものすべての生命を抱く愛の華麗なる花へと開いていく中で、私は常にあなたとともにある。
参考文献:ラムサ著「ラムサ – 真・聖なる預言」、RAMTHA
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今生でのラムサとの出会いはもう10年以上前のことになります。
ある方から渡されて、最初に出会った精神世界の書物でした。
今再びラムサに触れたくなりました。
読み返しているとき、そしてこの記事を作っているとき、その間中、その言葉に宿る愛のエネルギーに私自身が共振共鳴するのを感じます。
これは、ラムサという存在を通した私たち自身からのメッセージでもあると信じます。