愛という言葉。
一言で表すには難しい。
「隣人を愛せよ」と言われてもピンとこなかった。
「愛するとはどういうことなんだろう?」と思った。
日本人にはなじみにくい言葉だったのかもしれない。
昔は、愛と聞くと
好きの延長だとか恋い焦がれるの延長みたいに
思っていた。
その「愛」が今動き始めている!
感覚として
感情として
魂の温もりとして
魂が知っているものとして
魂そのものとして!
愛は深い・・・
好きになること、恋い焦がれることだけではない。
見守ること
信じること
これも愛。
相手をどこまでも信じること。
相手は光に向かって進んでいることを信じること。
現実で迷っているように見えても
それはそれは本人が設定してきたことだから。
魂の進化のために!
自らの成長のために!
だからそれで良いのだ。
たとえ今苦しんでいるように見えても
それが自ら設定してきたものだとしたら
そこに異を唱えることは
本人の成長を妨げることになるかもしれない。
信じて見守ること。
どこまでも信じること。
相手の中の光。
相手の中の愛。
相手は光そのものであること。
相手は愛そのものであること。
変えようとするのではなく
相手をそのように見る。
信じて見守り続けていくこと。
その愛は柔らかな波動として
相手を包む。
それが隣人を愛すると言うこと。
それがわかるようになったのは
自分自身を愛することができるように
なったから。
自分の全てを慈しみ
愛おしく思う。
自分の中にあるどんな嫌な部分も
それがあることを認めることが
できるようになったから。
何が出てきても
大丈夫。
どんな自分のことも
信じていること。
自分自身の
神性さを知ったとき
隣人の神性さも
見えてくる。
隣人を
心から
尊く思えるようになってくる。